西宮 夙川の地で味わう、室町時代に創業し琵琶湖のほとりで400年以上の歴史を紡ぐうなぎ料理


西宮 夙川、創業400年以上の老舗に受け継ぐうなぎ料理|七五三・お宮参りなどのハレの日にも

山重の歴史

琵琶湖・瀬田川のほとりにはじまる
“山形屋重右衛門”
愛され続けた瀬田鰻の味わい

“うなぎ料亭 山重”の起原は、およそ400年前に琵琶湖・瀬田川のほとり、瀬田唐橋のかかるこの地で創業した鰻の引売り屋台“山形屋右重衛門”とされております。時代とともに姿を変えながら、瀬田鰻の味わいを伝え続けてきました。

琵琶湖・瀬田川のほとりにはじまる仕出しと店舗山形屋重右衛門

昔、瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田唐橋は、東海道から京都へ上る交通の要衝でありました。琵琶湖を渡るより、天候に左右されず京に向かえるため、「急がば回れ」の諺の発祥であるとも言われています。多くの旅人が行き交うこの地で、栄養豊富な鰻は彼らの疲れを癒してきたことでしょう。

旅人が行き交う交通の要所、瀬田唐橋

琵琶湖のほとり、この瀬田の地域でとれるうなぎは、大振りでいきが良く、大変美味であったと伝えられております。
“山形屋右重衛門”は、このうなぎを醤油や酒で味付けし蒲焼きにして、“瀬田鰻”として販売しておりました。

美味な瀬田の大うなぎ

瀬田には、675年に近江の守護神としてこの地に遷座した格式高い神社、“建部大社”があります。“山形屋右重衛門”は、その創業の頃よりこの神社と共に歴史を歩んでまいりました。神事の後の直会の会席の場では、多くの人々に瀬田の美味な鰻が振る舞われてきたことと思われます。

建部大社とともに歩む

寛文元年(1661年)旧暦9月17日に、 膳所藩主の本多俊次が酒井家に近江瀬田の鰻を贈答したことが記されており、その頃からこの地の鰻は“瀬田鰻”と呼ばれております。時代の流れと共に鰻が減少し、今では獲れなくなりましたが、その名を大事にしていきたいという想いから、当店でお出しするものを“瀬田鰻”と呼ばせていただいております。
時代を渡り、守り抜かれた味わいをぜひご賞味ください。

受け継がれる名と瀬田鰻の味わい